Company

~会社概要~

社 名 丸正ニットファクトリー(株)
本 社
新潟県見附市新町2-6-8
TEL (0258)63-3213
FAX (0258)63-3655
E-MAIL info@marusho-factory.co.jp


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MAWHOQ
新潟県見附市新町2-6-10
TEL (0258)61-1211
FAX (0258)61-1256
E-MAIL k.mawhoq@marusho-factory.co.jp


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フロンティア
パートナーズ
事業部
新潟県見附市新町2-6-8
TEL (0258)61-3066
FAX (0258)61-3067


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東京支店
東京都渋谷区神宮前1-1-6 IMビル2F
TEL (03)5786-0506
FAX (03)5786-0507
E-MAIL info-tokyo@marusho-factory.co.jp


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上海事務所
上海浦東新区芳路478弄84号802室
TEL 86-21-55887353
FAX 86-21-68929706


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代 表 者 佐野 統康 (昭和41年生)
業 種 紳士・婦人服ニットウェアー製造
創 業 天保3年(1832) 4月5日
創 立 昭和35年(1960) 7月8日
資 本 金 10,000千円
年 商 10億8千万円(2015.5月期)
社 員 数 108名(内パート17名)
設備 横編機 120台(インターシャ・コンピューター付ホールガーメント機)
3 5 7 8 10 12 14 15 16 18G
*社外貸し出し機械有

本  縫 ロック特殊ミシン リンキング
裁断機 検針機 プレス加工ルーム 成型プレス機

生産能力
(月産)
ニット・ソーAVE 20,000枚(MAX 40,000枚)
WHOLE GARMENT AVE 15,000枚(MAX 30,000枚)
取引銀行 北越銀行見附支店 商工中央金庫長岡支店 
東京三菱UFJ銀行新潟支店  三井住友銀行新潟支店
取 引 先 ファイブフォックス フランドル ワールド 三陽商会 オンワード樫山
トゥモローランド 三菱商事 日鉄住金物産 蝶理 モリリン 他

~会社沿革~

天保3年4月(1832年)  佐野庄右衛門により 織物業創業
現在営業している見附繊維製造業としては、最も古いと思われる。
(また同年、棚織神社の元となる織物の神をまつる社が建てられた。)
明治元年~ 佐野庄吉が織物製造業を継ぎ 会社として業績の拡大をはかる。(大正12年没)
大正15年 見附が繊維産地として発展するための功績は大きく
棚織神社竣工に合せ佐野庄吉の遺徳碑が建てられる。
昭和23年8月 丸正機業(株)設立
昭和35年7月 丸正織物(株)設立
昭和40年 輸出専門工場として織機の完全自動化が行われた。
昭和45年 国の指導により 協業組合第一合繊として 11社による協業が行われる。
昭和54年6月 撚糸事業部開設
昭和57年6月 ニット事業部開設 
(織物・撚糸を全廃しニット製品の製造を始める)
平成6年4月 現社名『丸正ニットファクトリー(株)』に社名変更
メンズセーター中心より ヤングレディースセーター中心に転換する。
平成9年3月 東京出張所を渋谷区神宮前に開設 情報収集を行う。
平成11年6月 東京出張所を表参道への移転と共に 東京支店に昇格する。
一層の 営業企画・情報収集の強化を図る。 
平成12年6月 代表取締役に現社長 佐野統康 就任(7代目)
平成16年2月 MAWHOQ事業部開設 ホールガーメント専用工場を稼動させる。
カットとは違う無縫製ニットの製作に取り組む。
平成16年8月 東京支店を原宿に移転し ショールームの充実を図る。
有名アパレルのOEM生産を中心としているが
自社ブランドの確立を目指し、海外に向っての販売も考える。
平成17年6月 上海事務所開設
売り先としての中国を考え 輸出に取り組むための市場調査を始める。
平成19年9月 EQ事業部開設
海外生産および 高付加価値商品の開発販売に取り組む。
平成19年10月 フロンティアパートナーズ事業部開設
検品・修整・物流部門 ならびに リサイクル事業をおこなう。
平成21年1月 ホールガーメント機:最新気鋭タイプ「マッハⅡ」を世界初導入。
平成24年6月 生産効率を高める為、3工場に分かれていた編機を、1工場にまとめるべく、移設する。
沿革

1832(天保3)年、佐野庄右衛門が織物業として創業。綿織物の結城縞の生産が見附で急拡大した時期だった。明治に入り二代目庄吉により大きく発展し、見附繊維産地の基礎を築く。繊維、ものづくりにこだわり180年。織物、撚糸ニットと業態を変えるとともに丸正機業場、丸正織物、現社名へ。6代目吉和により1982年織物、撚糸業よりニット製造へ転換し、1999年7代目統康が社長に就任。アパレル企画による「下請け」製造から、自ら企画提案するスタイルに転じ、アパレルや小売業態まで多様な取引先が広がる。現在に至るまで東京、原宿に支店開設、中国上海事務所開設とトレンド情報収集や客先への情報発信基地に活用する。2004年から技術革新的な、1着丸ごと編み上げる無縫製編機「ホールガーメント」を不況時でも積極的に設備投資し、自社ブランドの開発につなげ、通信販売、海外への輸出販売へと新しい事へのチャレンジを続ける。長い社歴の中で学んだ顧客満足を大切にするものづくりにこれからもこだわり、匠の心と技を後世に繋ぐ。

 
二代目三代目四代目 大正時期工場前
二代目三代目四代目 大正時期工場前
 
力織機 工場風景 自社ブランドTV販売
力織機 工場風景 自社ブランドTV販売
 
マッハⅡ世界初一号機導入 ホールガーメント工場風景
マッハⅡ世界初一号機導入 ホールガーメント工場風景
  ~佐野庄吉~ さのしょうきち 1854~1923

織物製造業者。安政元(1854)年四月二日生まれ。
さのしょうきち 1854~1923 佐野庄吉
父佐野庄右衛門、母スイ。
明治元(1868)年、家業の織物製造業を継ぐ。
明治三十六(1903)年、見附正紺組合副組合長に選任される。
明治四十(1906)年、見附織物同業組合副組長、
大正三(1914)年、同組長に就任する。
同年、新潟県染色試験場を見附に誘致した。
見附物産株式会社取締役、北越織物整理株式会社専務取締役、
見附銀行監査役などの要職に就任。
見附町会議員に三期推されたが、終始一貫織物業界のため尽力した。
大正十二(1923)年五月三十日没。見附市総持寺に葬る。六十九歳。
大正十五(1926)年、見附織物業界は、組合事業の基礎を築き、
しかも任期中に産地を飛躍的に発展せしめた功績を永く称えるため、
棚織神社の境内にその遺徳碑を建立した。
(見附市史より引用)

   

~新潟本社~

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~東京支店~

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